近所のワンコが亡くなった話を書きます。
死に関する詳細は一切書いていませんが、この手の話が苦手、見たくないという方はご遠慮ください。


近所にシルク君というシェルティがいました。

年齢は18歳。

目は真っ白に白濁し、被毛もボサボサ、やせていて、歩くのもヨロヨロ。

それでも毎日、朝と夜に家の周りを10~15分位(たぶん)散歩してました。

朝の散歩時は、7~8割くらいの確率でシルク君に会っていました。

他のワンコにはワンワン吠えるえる&きりも、シルク君に対しては一切吠えませんでした。

大先輩だからかな。



昨日の朝、雨降る中えるを連れて(きりは雨の日は留守番)散歩に出ると、シルク君の飼い主さんが一人で歩いていました。

嫌なものが頭をよぎりましたが、いつものように朝の挨拶を交わし「シル君(愛称)はお休みですか?」と尋ねると「日曜日に亡くなった」とのこと・・・

えるの頭を撫でながら「苦しまなかったから良かった・・・」と声を震わせていました。

シルク君、最後まで飼い主孝行だったんだね。


習慣付いた朝の散歩は、これからも一人で続けるそうです。

明日から、元気に歩くえるきりを連れて、どんな態度で接したらいいのだろう。

今までと同じがいいのでしょうけど、自信がありません。



昨日、この飼い主さんに教えられたというか、改めて決意したことがあります。

「フローリングの床はダメですよ。年取ってから足腰にきましたよ。」

「フローリングはダメみたいですね」と答える私。

「でも、悔やんでいるのはそれだけかなあ」

それだけ?

多くの人は「もっとかまってあげればよかった」「もっと一緒にいてあげればよかった」「ああすれば・・・」「こうしておけば・・・」ではないでしょうか。

でもこの飼い主は、シルク君と過ごした18年間で、後悔しているのはフローリングのことだけ。

そして「シルク君は幸せだったと思いますよ」と言うと、「そうだといいんですけど」などではなく、「はい、そう思います」と。

この人はどんな風にシルク君と過ごし、どんな風に愛情を注いできたのだろう。
どうしたら堂々と「悔いはない」「幸せにできた」と言えるのだろう。

とても立派で素晴らしい飼い主だと思いました。


私にも必ず、える、きりとの別れの日がやってきます。
でもその日が来た時は「悔いはないですよ」「あの子はきっと、この家の子になれて良かった!幸せだった!と思ってるでしょう」と胸を張って言えるように、える&きりとの生活を送りたいと思います。



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